【社長コラム】それはいつも南からやってくる

「家族葬」が市民権を得て久しい。

少し前まで、家族を亡くした遺族からは
「家族葬でやりたいんですけど・・・」
と悪いことをするみたいに言われていたのに、
今では6割以上の方から「家族葬」のお葬式を請け負うようになった。

家族葬の言葉が頻繁に聞こえるようになったのは
かれこれ15年前にさかのぼるだろうか、
しかし都内では
“会社も近所も参列を断る、少人数の葬儀”
がすでに半分以上に達していたと聞く。
ということで葬儀スタイルの変動の波は首都から始まり、
遠方の田舎になるほどウネリをともなって
風習や伝統を押し流していく。
かつてひとたび葬儀が発生すれば、向こう三軒両隣はもちろん、
近所一帯から人が集まり、やれ誰が葬儀委員長だの
やれ受付、会計、買出し、煮炊き、
ちょっとしたお祭りのようになっていたことが、遠い遠い昔のように思える。
そこでは人と人の繋がりが密で
お年寄りから葬儀の意味や慣習を教えられてきた。

だが「昔はよかったなー」とノストラジックに浸っているヒマもなく、
すでに新しい波が、また都内の方からやってきそうだ。
お通夜を省いた葬儀、「1日葬」だ。
もうすでに埼玉でも都内沿いでは半分以上が「1日葬」になっている・・・
と地元の葬儀社さんから伺った。
家族葬のときと同じだ。
しかしその波は以前より早い。
なぜならすぐ後に、火葬だけの葬儀「直葬」の波が発生しているからだ。
おそらく5年もたたないうちに、ここ熊谷周辺も「1日葬」がスタンダードになっているだろう。
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家族葬、1日葬、直葬・・・葬儀の選択肢がこれまでにないくらい増えた。
それは消費者には喜ばしいことだが
テレビのチャンネルが増えたように、どれを選ぶべきか迷うことも増えた。
ただ自分勝手に色好みで選び抜くことは、
故人の意志、遺された家族の心情、これまで培ってきた地域との繋がり、
そして宗教者の存在をも無視することなるので、非常に危険だ。
たくさんの人や時間までも飲みこみながら、新しい波は次から次へと南からやってくる。
地域の葬儀社は、はるか彼方、水平線の向こうを望み、
波を読む力を持たなければ、地域のお客様にしっかりとしたサービスを提供できないと思うのである。

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