納得がいく別れができたかどうか…
つまり故人と別れる儀式(葬儀)によって、
死を受け入れられたできた遺族とそうでない遺族とでは、
その後のグリーフ(悲嘆)期間に影響が及ぼすと言われている。
したがって、葬儀は最大のグリーフケアの場あり、
葬儀社は葬儀後のグリーフケアはもちろん、
まずは遺族が満足できる葬儀を提案することが求められる。
価格競争に陥らず、地域社会に信頼をされる葬儀社を目指すならば、
遺族支援ともいえるグリーフケアのサービスを整えておくべきだが、
マネタイズしにくく、なかなか人材と時間を割けないのが実情だ。
そこで当社では、地元のグリーフケア団体と提携し、
遺族の送客や、イベントへ携わることで、グリーフケアを学ぶきっかけに努めている。
ところで、家族を喪った経験をある人は理解できると思うが、
時間を経ても哀しみが完全に治癒されることない。
自分も父を見送って2年に及ぶが、未だに引きずっている。
先日地元の鑑定師を招いて、自社式場を会場に占いのイベントを開催した。
3人の鑑定師の枠は埋まり、イベント自体は盛況に終了したのだが、結果は意外だった。
シニアを対象にしたので「老後の相談」や「健康の不安」が主になるとふんでいたのだが、
鑑定した占い師によると、
「先日葬儀を行ったが、自分がした供養は間違っていなかったか」
「故人は天国に無事到着できているのだろうか」という主旨が多く、これまでにない相談だったという。
葬儀を終えても、悲しみや喪失で不安や自信に揺らぎを憶えている方が多いことの証左だった。
時間が経てば忘れることができる、なんていうのは嘘だ。
亡くなった人をいつまでも思うことは、本当に詮ないことなのか。
人は亡くなっても「無」に帰すことなく、遺された私たちの記憶に映し出されてくる。
悲しみを克服する必要はない。
死者を想うことで、今ある自分の「生」に感謝することが、私たちを支える力となる。
昨年鬼籍に入った作家の伊集院静氏の言葉が心に響く。
「さよならも力を与えてくれるものだ。
私は、これまでの短い半生の中で、多くの人との別離を経験してきた。
彼ら彼女たちは、私にサヨナラとは一言も言わなかった。
それでも歳月は、私に彼ら彼女たちの笑ったり、歌ったりしているまぶしい姿を、ふとした時に見せてくれる。
人の出逢いは、逢えば必ず別離を迎える。それが私たちの「生」である。生きていることがどんなに素晴らしいことかを、さよならが教えてくれることがある」
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