【社長ブログ194】樹木葬販売会を終えて ~心だに誠の道にかなひなば~

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本日、樹木葬霊園の最新で最終の区画販売会が修了した。

7年前、お客様の要望の声を背中に始めてあっという間に400区画が完売し、
今回の最終区画でも初日で半分近くの申込みがあった。

当社が管理する樹木葬霊園の特長については別紙で高覧頂いたうえで、
これほどまでに「樹木葬」の市場ニーズがあるのは、やはり時代の潮流だろうと察する。

少子高齢化が進む日本社会では、
これまでの人口増加を前提とした家墓モデル(いわゆる代々子孫が〇〇家の墓を継いでいく)が通用しなくなっているのは、子供でも分かることだ。

自分の死後に跡を見てくれる家族がいない…
身寄りのない親族のお墓を託された…
これまでマイノリティだった人たちがマジョリティになったのが現代だ。

そして生活するうえで都心に拠点を移す必要性で
遠方の墓地を整理する必要性に迫れらる人が増えているのも事実。

市場や時代を先読みし、樹木葬霊園の開発に挑んだと言えば恰好いいが、
実際は上記マイノリティのお客様の声を聴いて、
地元で解決できるお墓を紹介できないか、というのが、7年前に樹木葬霊園開発のきっかけだった。

ご存知のとおり、お墓の開発は自治体か宗教法人しかできない。
いくつかの寺院に主旨を伝え協働を願ったが
ほとんどの寺院がNG、または檀家の役員さんの了承を得ることができなかった。

しかし1ケ所だけ了解を得る寺院があった。
それが現在の曹洞宗寺院 常慶院の永平住職。
当社の先代(父)と常慶院の先代住職が旧知の間柄であったうえ、
自分と現住職が同年齢で話を通じやすいというのが共感して頂ける担保となった。

手さくぐりに恐々として始めたスタートアップだったが杞憂に終わった。
初めの区画の販売会ではバス2台を出すほどの参加申込みがあり、
あっという間に完売してしまったのですぐに新しい区画を開発。
それも1年を経たずに完売してしまい…というサイクルで今日9番目の販売開始に至ったのである。

最近では樹木葬開発に着手する寺院も増えてきた。
しかし全てがうまくいっているとはいかないようである。
ファミール常慶院だけが、これほどまでに人気があるのはなぜか?
振り返って省みると「お客様が欲している要望に応えよう」として始めたことではないかと思いつく。
〇あとに残される人にお金の負担をかけたくないということから、
最初の契約金のみで追加請求が発生しないこと。
〇数年後に取り出されて、大きな穴に他人の遺骨と混ぜあわされてしまうことなく、
半永久的にそこの地(区画)で眠ることができること。
〇寺院の境内にあり、永代に渡り寺院が管理してくれるが、宗教へのしばりは一切なし。寺院へのお布施や管理料もない。どこでどのように葬儀を行ってもまったく自由であること。
この条件を達成するには運営する葬儀社も寺院も長期に渡ってコストやリスクが生ずるが、
マイノリティの人たちの「困った」を解決するために踏み切ったことが、
今日の開発の成果につながったのだろう。

うまくいっていない樹木葬霊園をみると
「儲かりそうだから、損しない程度にやってみようか」
というスケベ心で始めたフシが見受けられる。
境内でも端っこの空き地に申し訳なさそうな程度に造作し、
狭い敷地になるべく多くの区画を詰め込もうとオセロ盤のような窮屈さ。
区画に入った遺骨は数年後には取り出し、新しい契約者を入れる賃貸方式。
石材店が介入することで樹木葬なのに高価な建材(石材)を多く使用した普請。
これではお客様から営利主義を透かして見られて敬遠されてしまうのも無理はない。

お墓を買おうとしている人は真剣である。
自分または家族を葬り、やすらかに眠ってほしい場所を望んでいる。
スケベ心が少しでもあれば、見透かされて相手されない。
だから今回の販売会でも、説明に入る前に開発に至った経緯と主旨を誠心誠意伝えたつもりだ。
お墓は家電などと違う。価格が高い安いではなく、終の棲家となる所の信頼度が選択肢となるからだ。
おかげさまで当社のコンセプトとスタッフの丁寧な解説を理解して伝わることができ、
販売会は盛況のうちに幕を閉じた。

今回の販売会でもご夫婦、またはお子様一人追加して3人での申込みが多かった。
家族ごとに事情はそれぞれ、しかしはやり時代の潮流をというものを感じぜぬはいられない。
この潮流を見定めること、それは目の前のお客様の「声」に耳を傾け、事業を転回そして展開していくのが経営だと思っている。儲けはその後、黙っていても後からついてくる…そう信じている。
家族葬、1日葬、直葬、そして樹木葬。
目まぐるしく変化する葬儀への要望に、これまで懸命に応えて提供してきた。
おかげで今日まで良心的なお客様に贔屓にされ、それを支えるマジメで誠実な社員に恵まれてきた。

心だに 誠の道にかなひなば 祈らなずとても 神や守らむ

心に誠意を持ち、道理にかなった行動をしていれば、祈らなくても神の加護はある…と古人は言った。
先代(父)も「至誠神のごとし」という言葉を好んでいた。
これかもお客様の声に真摯に向き合い、解決を考え、誠実に仕事へ取り組むことをもって
樹木葬開発のさらに先の事業を展開していきたいと思う。

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