【社長ブログ195】葬儀の日 感謝できない遺族

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葬儀は感謝を伝えるため・・・
ありがとうのあるお葬式・・・
そのようなメッセージを標榜する葬儀社は多い。
そして感動をつくりだす演出に尽力する葬祭スタッフ。

物価高で節約志向の今、「早く、安く、簡単に」葬式を行うことに抗い、付加価値を訴求しようとする葬儀会社の方針は、これまでもこれからも間違っていないだろう。

しかし先日の母の日に掲載された朝日新聞の記事を読んでふと疑問視する気持ちが湧いた。(朝日新聞 母の日 感謝できない私は街にあふれるムードが苦しい

記事には『「お母さんに感謝を伝えよう」というメッセージがあふれる街中の光景に、息が詰まるような「しんどさ」を感じる人もいる』ということだった。
背景には個々の家庭の事情で母親から愛情を注がれる機会がなかったことにある。
しかし母の日が設けられていると、親に感謝する文化を強制されているようで、感謝できない子は社会の枠から外れているような気持ちになる、というのだ。

これと同じことを葬儀で勧めていないか、と自戒の念がもたげた。
もしかして遺族によっては感謝の気持ちなどわいてこない、感謝できないという実情があるかもしれない。それどころか葬儀だって「やりたくない」という声も実際に聞いたこともある。

ある女性の葬儀。一人娘は火葬だけの葬送を希望した。
シングルマザーだった母は生前思いもかけず保険金を得ることになった。
働くことを辞め、若い男性を自宅に引き入れるようになると家庭に生活費も入れなくなったので娘は自立し疎遠になった。
音信不通になってしばらくして市役所から母が亡くなったので遺体を引き取るようにという連絡がはいる。
そのような事情を聞いたので火葬だけで済ますのもやむえないだろうと察したが、お墓を管理するお寺の僧侶から「待った」がかかった。
彼が言うには「親の葬儀なんだからきちんとだしてあげるべきだ」と。
そして葬儀は通夜と告別式2日間にわたり式場にて厳かに執り行われた。
僧侶の読経を聞きながら娘はどのような心境だったのだろうか。
感謝の想いはわいてきたのだろうか。
うかがい知ることは出来なかった。

コロナ禍を経て葬儀の意義を問われるようになって久しい。
しかし葬儀のカタチは私情によって変わるのに、葬儀の価値向上を目指すあまり遺族の多様な事情への配慮を欠き、葬儀社の自己満足的な「正義」を振りかざしていなかったか。
今一度立ち止まり、遺族に向き合い、声を聴き、事情を察し、適格な提案をすることが廉価な葬儀の時代に立ち向かう葬儀社の使命、存在価値であると思う。

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